ふと書店で「ワンオペ育児」という本を手に取り、立ち読みしました。そこには、ワンオペ育児がいかに大変か。偽イクメンの活躍の裏でワンオペ育児母がいかに搾取されているか…等等悲惨なワンオペ育児の実態が書かれていました。解決策の提示はなく、ただただ、ワンオペ育児の辛さとワンオペ育児の実態を救ってくれない(助長する)夫や社会への嘆きを綴った本です。
この本を手に取って読む読者もまた、ワンオペ育児に苦しむ母親たちなのだと思います。
自分の苦しさをわかってくれない夫・社会にうんざりした母親たちが、この本を読むことによって、共感して、少し気がまぎれる。そんな本なのだと思います。辛い現実は何も変わらないかもしれない。だけど変わらない”不幸”な日常をやり過ごすための「緩衝材」「鎮痛剤」として機能する本。
・・・ちょっとまってよ。
「悲劇のヒロインごっこ」に忙しい人が多すぎる。
もっと現実を直視して、変えて、本当の幸せをゲットしようよ!
「私ってなんて不幸なの~!」って嘆いているときって、実は「キモチイイ」。
確かに「不幸」なんだけど、自分自身に対する痛みはない。だって、誰かが悪くて、私は”保護される「べき」対象”だと思っているから。保護されるべき私を保護してくれない誰かを責めていればいい。自分自身はなーにも悪くない。「私はXXさんのせいで不幸なの」と思っている限り、私が不幸なのはXXさんのせいであって、私のせいじゃないから、私が苦労してなにかをする必要はない。いつか誰かが救ってくれるはずだし、そうあるべき。「私って不幸なの」と思っている限り、私はそのままでいい。不幸に酔っていれば、現状を変える苦労はしなくていい。いつか白馬に乗った王子様がやってきて、私を不幸から救ってくれる、はず…!
私はこの状態を「悲劇のヒロインごっこ」と呼ぶことにしている。
不幸ではあるんだけど「わたしってなんてかわいそうな子…!」と思いながら、王子様が助けにきてくれるのを待ってる状態というのは、おとぎ話のヒロインのようでちょっと「キモチイイ」。中毒性がある。
でもね。
誰かのせいにして、自分の不幸を嘆いて、誰かが助けてくれるのを待っているだけじゃ、なにも現実は変わらない。本当に幸せになりたかったら、その不幸は「自分が」招いたものなんだ、「自分の」決断の結果なんだ、と認めて、不幸を脱するための努力をしなければならない。「自分のせいだ」と認めることは、きっと、とても辛いし、幸せを得るための努力が大変な時もあると思う。
それでも。
悲劇のヒロインを気取って、ずっとただ不幸ぶってるよりは、ずっと楽しいし幸せな人生になるんじゃないかと思うんだよね。
ワンオペ育児が辛くて嫌なら、そのことをきちんと夫や社会に伝えて、自分の現状を変える努力をしていかないと。救ってくれない夫や社会のせいにして、自分は何も悪くないと悲劇のヒロインごっこしててもなにも変わらない。
育児があっても私は私。私としての人生がなくなったわけじゃない。どう生きるにせよ、自分の人生を誰かのせいにして、誰かに譲り渡しちゃだめだと思う。自分の人生は自分でつくろう。